見切れる・見切れとは何?語源や言い換え表現を徹底解説します。

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見切れの意味

本記事では、見切れる・見切れとは何かや、その語源や言い換え表現を解説します。

「見切れるの意味は何?」
「見切れとは何?」
「見切れるの語源や言い換え表現が知りたい。」

この様な疑問をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。本記事を読むことで、見切れる・見切れとは何かや、その語源や言い換え表現について理解できます。

目次

見切れるとは何?

見切れるとはどの様な意味でしょうか?

見切れるとは、演劇界・テレビ業界で用いられていて言葉で、「舞台裏などの見てはいけないもの、映してはいけないもの」を指していました。

つまり、放送事故の一種。これが本来の意味です。しかしながら、現在では一般的に、本来の意味とは逆の意味、つまり、写真やビデオのフレームから、人物などの全体が切り取られていることを意味する言葉として使われています。

かつては、後者の用法は誤用とされていましたが、今では一般用語として広く使われているのではないでしょうか?一つの言葉の中に正反対の二つの意味が混在しているようで、細心の注意が必要な言葉です。

「見切れる」の意味とは?

見切れるとは、もともと演劇やテレビ業界で使われていた言葉で、「見えないはずの舞台裏のものが、見えたり、映ったりすること」という意味です。

近年は逆の意味で、「写真・ビデオのフレームから、人物などの一部分が切れていること」という意味で利用されることもあります。

こちらの「見切れる」という言葉ですが、「被写体が写真などのフレームから切れている」以外にも、使い方があるのをご存知でしょうか?

見切れるという言葉は、エンターテインメント業界でも使われています。

テレビ業界用語で、収録中に「映っていないはずのものが誤って(画面に)映る」ことを指します。

バラエティー番組などで、たまに見られます。

例えば、生放送中に小道具を運ぶADやスタッフが横切ったりして、画面に映ってしまうことがあります。その瞬間、スタジオは「ADが見切れてる(=ADが画面に出てしまっている)」と言わんばかりの緊張感に包まれます。

撮り直しができる収録ならまだしも、生放送では、出演者の失言も含めてミスは許されない状況なので、緊張感があります。

見切れとは何?

「見切れ」「見切れる」の本来の意味は、「見えてはいけないはずの裏側」を意味する業界用語「見切れる」に由来し、「本来見えているべきのものが、まるで切れたように一部が見えないこと」ことを「見切れる」と言うのはこれまで誤用とされてきました。

しかし、現在では「本来見えているべきのものが、あたかも切れたように一部が見えないこと」という意味で「見切れる」・「見切れ」が広範囲で利用されており、どちらも正しいです。

舞台の見切れとは?

ミュージカルや演劇などの舞台作品の場合、主にスタッフや役者などの運営側が、本来見えるはずのないものが見えてしまった場合、つまり操作ミスがあった場合に使う言葉です。

例:上演中に舞台機構が故障し、登場しないはずのセットの一部がしばらく見えなくなる。

一方、観客の立場からすると、「見えない」ということが「見えてはいけないもの」という意味で使われるケースは少ないです。

例えば、舞台の端に座っていると、舞台の反対側や舞台の裏側が見えることがある。その場合、次の出番を待つ役者が見えたり、舞台裏が見えたりする。このような場合、客席側から「見通す」という本来の意味が使えます。

例 最前列の端の席で観劇している時に、舞台の向こう側で待機している役者やスタッフが見えてしまった。

なお、「見切り」は舞台裏を観客の視界から隠すための道具のことです。

また、客席から見えるものを切り取るという意味もあります。基本的には、舞台の袖を隠すための「切り出しや張り物」のことを意味します。

「上の見切り」・「下の見切り」とも言います。同じ意味で「突き出し」と呼ぶ地方もあります。

近年は「見切る」という呼び方も増えています。また、見切りが不十分で、舞台の裏が見えてしまうことを「見切れる」と言います。

こちらは、映像の世界でも同じです。例えば、照明や音響のスタッフが、カメラから見える位置に立つことを「見切れる」と表現します。

わかりやすく言いましたら、見切れるというのは、「本来は見えるべきではないものが、見えてしまう」ということです。

一般的には、「ここの席からは、舞台の一部が見切れてしまっている」すなわち「舞台の一部が見えない」ということになります。

「この写真で誰々が見切れている」すなわち「誰々が映っていない」というように、「本来見えるべきのものが見えない」と、逆の意味で使用されていることも多くあるそうです。

これは本来の意味とは逆なのですが、何らかの理由で誤用が広がってしまったのでしょう。このまま誤用が一般に定着すれば、正しい日本語とみなされるかもしれません。

最近では、死角などで見えづらい席のチケットを「見切り席」と言って、チケットを格安価格で販売していることもあります。

つまり、主催者側も「見えない」という意味で「見切り」という言葉を使っているのです。

しかし、「見切り」という言葉が「舞台から見えるべきのものまで見切ってしまった席」という意味だとすれば、「見切り」という言葉には、本来の意味があることになります。言葉というのは本当に難しいものです。

見切れるの語源

江戸時代には、観客が舞台の後ろの仕切りや、幕の向こうに見えることを意味する「見切り」という言葉がありました。これが転じて、「見切れる」という動詞として用いられるようになったと考えられています。

さらに、一般的な意味として、物事がある範囲内に収まって見えるものが外に出て見えなくなることを指すようになりました。

例えば、森の中から家や山が見えなくなることや、車の運転席から後ろの車両が見えなくなることなどを表現するのにも「見切れる」という言葉が利用されます。

ある説では、「見切れる」の語源は、舞台の裏や舞台袖を客席から見えなくするための道具「見切り」から来ているそうです。

歌舞伎で使われる山や建物の形をした大きな道具である大道具の「切り出し」や「張り物」の道具が「見切り」と呼ばれています。「裏方などがはみ出して見えてしまう」という意味で「見切れる」と呼ばれるようになったという説があります。

「見切れる」の語源を理解しましたら、「写真や映像から、人物などの一部が切れている」という意味で使うのは、誤用であることは明らかでしょう。

また、比喩的には、物事の全体を把握せず、一部分だけから判断することや、限られた情報だけで結論を出すことを指すこともあります。

見切れるの言い換え

写真や映像で、人物が画面の枠に収まらないことを「見切れる」と表現する様な場合には、「はみ出す」、「収まりきらない」などが類語になります。

「集合写真を撮ると、顔の一部がはみ出していた。」
「並び方によっては、全員の作品が画面内に収まらない。」

など、「見切れる」を使用すると相手に誤解されそうなシーンでは、できるだけ類語に置き換えた方が良いでしょう。

また、「見切れる」を言い換えた場合、以下のような表現が考えられます。

「見えなくなる。」
「見えなくなることがある。」
「見えなくなることがあることがある。」
「見えなくなることがあり得る。」
「見える範囲を超える。」
「視界から外れる。」
「見える限りではない。」
「見えなくなる可能性がある。」

文脈によって、適切な言い換えが異なる場合もありますので、具体的な文や状況に応じて使い分けると良いでしょう。

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